6.油川城跡
 あぶらかわじょうあと



年代

油川地区の浄満寺には城主奥瀬氏の供養塔と伝えられる康正2年(1456)銘の供養塔が残存しているので、15世紀中頃にはここに勢力を持つ豪族がいて城館を築城した可能性が高いといいます(『青森県史』資料編考古4)。

解説

油川城跡はJR津軽線油川駅から西へ約1.5キロ、海岸からは約1.6キロ内陸に入った地点にあります。この場所は海陸の交通の要衝である油川湊の中心から2キロ近く離れています。ここに、城主奥瀬氏と経済的・政治的に力のある油川商人とのパワーバランスをみ、奥瀬氏は油川の城主というよりも、浪岡北畠氏や南部氏によって置かれた「代官」の可能性が指摘されています。

油川城は、全体的に要害(軍事)性の低い城で、表の入口である大手虎口は油川湊には向いておらず「町に背を向けた城」であるといいます。このことは、油川城の最も重要な機能は油川湊とその周辺地域の支配にあるのではなくアイヌの人々との交易にあって、油川城は朝貢・交易の場すなわち「儀礼空間」であったとの仮説が示されています。

場所


制作:青森市民図書館歴史資料室