築造年代は北畠氏が浪岡城に移転する15世紀後半頃と推定されていますが(『青森県の中世城館』青森県教育委員会)、13世紀段階での利用も考えられるといいます。
天狗山から西に延びる舌状の台地を3条の堀で区切って城館とし、西には浪岡川、東から南へは正津川が流れ、防衛施設として自然地形を利用しています。また、西側には屏風館と呼ばれる幅の狭い急な斜面を持つ高まりがあって、これも源常館の一部とも考えられています。空堀跡が見て取れる部分があるものの、高速道路による分断などによってその一部でしか威容は確認できません。
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