現在「川原御所之趾」碑がある付近が川原御所の比定地とされています。平成13年(2001)度に浪岡町教育委員会が試掘調査を行った結果、浪岡北畠氏の最も有力な親戚で「御所」と称され、しかも永禄5年(1562)にこの川原御所が大御所浪岡北畠具運を攻殺した「川原御所の乱」を起こすほどの勢力を感じさせる遺構は検出されなかったといいます。 一方、17世紀末の「天和の書上絵図」の分析から、川原御所はこれよりも西側に立地した可能性が指摘されています。
制作:青森市民図書館歴史資料室