21.堤ヶ浦城跡
 つつみがうらじょうあと


解説

堤川(荒川)と駒込川との合流点の堤川左岸に位置した城館です。遺跡の所在も明確でないため『青森県遺跡地図』等には登録されていませんが、藩政時代の津軽家・南部家の記録や17世紀後半の絵図に記されています。

城主として記録に残るのは南部氏の一族の堤弾正左衛門光康で、明応7年(1498)に堤ヶ浦に入部したと伝えられています。南部氏が光康をこの地に入部させたのは、当時堤川の河口部には湊町が形成され、「宿」と呼ばれる町場があったことによるとみられています。

一方、堤氏は堤ヶ浦城を維持しつつ、さらに南方に横内城を築きここを居城としています。これは、堤ヶ浦城は平時の政庁で、横内城は有事の要害として相互補完的な機能を担っていたものと評価されています(『新青森市史』通史編第1巻)。

場所


制作:青森市民図書館歴史資料室