14世紀前半には機能していて、15世紀前半に大改築が行われ15世紀後半、もしくは16世紀前半まで使われました。
長く「尻八館」として知られてきましたが、『新青森市史』資料編2では、この名称は史料の誤読に由来するものであることからこの城館跡が所在する地名にもとづいて「後潟城」、またはこの城館が使われた時期となる中世の地名を尊重して「潮潟城」とするのがふさわしいとしています。ただ、すでに「尻八館」の名称が定着していることなどから、当面は「伝尻八館」とするのがいいだろうと同書には記されています。 城主は、室町時代にこの地の領主であった潮潟安藤氏(潮潟四郎家)とみられるといいます。
制作:青森市民図書館歴史資料室