平安時代後期、10世紀半〜11世紀の集落と推測されています。
三内丸山遺跡から西へ約400メートルの丘陵部にあり、現在は道路建設などで館跡のかなりの部分が失われています。また、館跡の中心部の調査が行われていないことを踏まえつつ、丘陵の頂部(首長居住地区か)を二重の堀が廻り、その外側に一般集落があるタイプの防御性集落であったと想定されるといいます。なお、三内遺跡の平安時代の遺構は三内館跡の一部であるとみられています(『新青森市史』資料編1考古)。
制作:青森市民図書館歴史資料室