26.善知鳥前館跡 うとうまえだてあと

前田蝦夷館とおなじ頃、鎌倉末〜南北朝期とみられます。
浅虫八幡宮の背後に至る尾根筋の標高80〜120メートルの部分を利用した城館です。
『吾妻鏡』文治6年(1190)2月12日条で、奥州藤原氏の旧臣大河兼任が鎌倉軍に最後の抵抗を試みたという場所として記されたことから、かねてより知られてきました。そのため、大河兼任が拠った「城郭」に引き付けて理解する向きもありますが、善知鳥前館跡は空堀を幾重にも設けた規模の大きなもので、大河が一時的に拠った「城郭」とは異質のものであったといいます。
戸崎・宮田・浅虫地区の城館は、ほぼ戦国期的な特徴をもたず、多くが鎌倉末〜南北朝期の城館であり、その後再利用されることがなかったという地域的な特徴がみられます。
制作:青森市民図書館歴史資料室
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